鈴木幸一氏の経営者ブログ

個人が持つべきあらゆる記憶が、企業や自治体がクラウドコンピューティングを使うように、外部のどこかに置き放されたままで、何の痛痒(つうよう)も感じなくなってくるとしたら、ずいぶんと怖い話である。私的な記憶を外部化するということは、自分の脳を外部化することでもある。もし、人間の脳というか、自分の脳の働き方が、そうなったらどうなるのだろうか(2010/8/24 鈴木幸一氏の経営者ブログ)

インターネットのない時代は、調べものひとつでも、知的な基盤がないと、調べようがなかったのに、インターネットでは探索対象となるキーワードを打ち込めば、知的な裏づけがなくとも、安易にあらゆる情報にアクセスすることができることに触れ、インターネットがメディアの基盤となろうとする時代に、その便利さの半面、暗記の意味をどこに見つけるべきか、暗記が不必要となれば、脳の働き方も変わってくるに違いないと、敢えてインターネットの便利さに対するアンチテーゼを提唱しております。

はたして、インターネットは必要悪でしょうか?その答えを導くためには氏のブログ全文を紹介したいところですが、かいつまんで言えばインターネットのおかげで細々としたことがらを記憶する必要がなくなれば、その分重要な事項の記憶・思索に頭を使えるようになるわけで、氏もそのような提唱を試みておられます。
本文では「あえて、大著を読んだりという昔風の読書へのこだわり」があるとの表現で、これからの時代の頭の使い方を示唆しています。